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5月の終わり、日曜日の夜

大阪に住んでいた頃、マンションから程近くのセブンイレブンによくお世話になっていた。何かを買うたびに「愛した〜〜〜〜」と言うレジのおじさん。何かを買うたびに俺を愛してくれたおじさん。何故か過去形だとかはどうでもいい。あれは「ありがとうございました」と言っていたのではなく、社会で生きることに疲れた人々に無償の愛を振りまいてくれていたのだと信じたい。おじさんのことは敬意を込めて「ラブ・マシーン」と呼んでいた。心の中で。

そう、すき家か豚骨ラーメンかセブンイレブンという鬼の3択を強いられていたため、慣れないブログを作ってまで自炊を始めたあの頃から、もう2年近く経つらしい。

近頃ブログが書けないのは、あんまりギャグ的な事に出会えないということが大きい。人ごみに流されて変わっていく私をあなたは時々遠くで叱ってくれるわけでもなく、無理矢理思い出ストックをかき回して、小学校の頃の想い出を蒸し返すくらいしかないらしい。別に上手いこと言えてない。

昔からあまり口達者では無かったので、身体を張るタイプの笑いを得意としていたあの頃。通学路の踏み切りで電車が通り過ぎたところを、前に乗り出しすぎていたために、上がってくる遮断機でアゴを思いっきり打つという爆笑のギャグを思いついてしまった俺は早速実践。

思った以上の遮断機の威力に、俺は力なく後ろに転倒。「何で前に乗り出したん?」と、ギャグどころか本気の心配をされてしまった。ホントだよ。何で乗り出したんだよ。本気で痛かったよ。あの親しみやすい遮断機ですら我々の思っている以上に高い攻撃力を持っているらしい。

ここから得るべき教訓は、【人は簡単に死ぬ】ということです。

最近整体が熱い。

大阪に居た頃から3ヶ月に1回くらい行っていたが、何かめちゃくちゃ痛いので効いている気になる(あまり効果は自覚できないけど)。今ではなるべく週1ペースで行きたいくらいの勢いです。

だけれど、行くたびに「首が悪いせいで下半身にも来てる」とか「背中が張ってるせいで全身に来てる」とか「脚の付け根が悪いせいで腰に来てる」とか「下半身が悪いせいで腰や首にまで来てる」とか言われてイヤ結局何やねん全部悪い言うとくれ。

前行った時に担当してくれたのが新人っぽいお姉さんで、「あ、あの、今日はよろし、よろしくお願いします」という感じだったので大丈夫かなという感じだったのだが、すごい圧で首のコリをゴリゴリされたので、ごめんなさい許してという感じでした。全然大丈夫じゃなかった。

ここから得るべき教訓は、【人は簡単に死ぬ】ということです。

家付近は飲み屋ばかりなのですが、酒を飲むとテンションがガタ落ちしがちなことを自覚しているので、休日終わりに無駄にテンションを下げることはしまいと、少し自転車を漕いで夕食にありつく事が増えました。COREDO日本橋というビルの5Fのエスニック料理屋さん。久しく辛い料理を頼んでいなかった気がするので、軽い気持ちでスープカレーを注文。美味しいので軽い気持ちで食べ進めてしまったのが運の尽き、この料理、かなり遅効性の辛さを発揮してくるタイプでした。薬か毒以外で「遅効性」という言葉を使うことになるとは思いませんでした。結局、途中からは水をおかずにライスを食べるという謎の図式になり、口の中をズタボロにしながら、悲しくも休み明けを待つことになりました。

ここから得るべき教訓は、【人は簡単に死ぬ】ということです。

会社への入社も2年前、大学入学も6年前、高校入学も9年前…と、これ以上追いたく無いくらいに老いてしまったようですが、自分の心持ちは、気持ちは、根っこの部分は、驚くほど変わっていない、ように思えてしまいます。

そんな風な共感ができてしまう人は、いつまで自分に能力があると錯覚しているんだ?と、自分に問い直す必要があるのかもしれません。人格は簡単に死なないとか、なんとか。

ならば、結局自分は何をしたい人間なのか?何に「なりたい」を聞いたら、きっと幸せになりたいとかしか、そんな感じのヌルい願望だけが返ってくるんだと思います。だから、何をしたいのか。直球勝負で、真っ向から挑む年にしたい。

行き当たりばったりだからこそ、今を大切にしたいんです。